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目次
まず皆さんに知っていただきたいことをここに記します。
1. 神は本当に必要なのでしょうか
2. 科学者はなぜ神を信じるのか
3. 先日スミスさんから受けたインタビュー
4. 神と科学の対立
5. 神 教会 宗教 は別物
6. 神がいてなぜこのような悲劇が起こるのか
1. 神は本当に必要なのでしょうか
ガレリオの時代、約1600年代まで、学者たちは天文学を学ぶために、夜空を見るのではなく、倉庫に保存してある古い資料の中に身を埋め、約紀元前350年のアリストテレス哲学を研究していました。図1のように神が全ての星を動かしていると思っていました。
図2を拡大した見てください。2003年5月にハヤブサが打ち上げられ、2年間かけて2005年に衛星イトカワに着陸し、イトカワの「土」を持って2010年に無事に地球に帰ってきました。
図2はハヤブサが地球から衛星イトカワまで辿り着くにはハヤブサの運動に影響を及ぼす地球、太陽、月、全ての惑星の重力を考慮して、その飛跡を計算します。このプロジェクトの成功は人間が全てを計算できることを示しています。神は本当に必要なのでしょうか。
図3はビッグバンでまり、現在宇宙に存在するエネルギーが全て原子より小さい塊にとじ込まれていました。それがアインシュタイン方程式に沿って膨張したのです。このビッグバンを発見したのはルメートル、カトリックの神父です。
神は本当に必要なのでしょうか。
2. 科学者はなぜ神を信じるのか
私は「科学者はなぜ神を信じるのか」と名付けた本を書きました。理由は簡単です。全ての科学者は宇宙は科学法則に沿って創られたと信じます。それだけではなく、私たちの周りで起こることは全て科学で説明できると信じます。では誰が科学法則を創ったか。
私はラグビーの世界大会が日本で開催されたとき初めてラグビーを見て感激しました。ラグビーのルールを考えてみてください。このルールを尊重することによってチームとチームが怪我せずに全力でぶつかり合えるのです。このルールは偶然に出来た物ではありません。人間がゲームの凄さと安全性を考えて作られたルールです。
科学も同じです。一度でも科学を勉強すれば科学法則はどんな絵画よりも美しいことを心に感じます。科学法則は偶然に出来たとは到底考えられません。
上でニュートン力学と万有引力について述べましたが、次にスマホを考えてください。スマホの中の電流は電子が走り回って流れるのです。電子の運動は厳密に電磁気学のルールに従います。
①力学にしても電磁気学にしても偶然できたのではなく、誰かの手によって創られたとしか考えられません。②科学法則の創造者を神と定義します。①と②は科学者であれば信じます。このような理由で科学者は神を信じているのです。
4. 神と科学の対立
ガリレオの時代に戻ります。ガリレオはギリシャ哲学を数学的に考えることを試みました。すぐに解ったことはアリストテレスの哲学には数学が入る余地がない「アリストテレスは自然哲学を何も理解していなかった」などと公の場で言いふらし、アリストテレスの天文学を(考古学というべき)研究していた哲学者たちを敵に回します。聖書には天動説(地球を中心に世界が回る説)について何も書いてありませんが、トマス・アクイナスの「神学大全」によってカトリックの教義となってしまいました。
コペルニックスは夜空を見て、天動説と観測の矛盾を地動説で証明しようとしますが、当時の観測技術では無理でした。望遠鏡の発明が世間に知れ渡り、ガレリオも自作の望遠鏡を夜空に向けました。そしてコペルニックスの地動説が正しいことを証明しました。
教会は地動説を提唱するガリレオに戸惑います。さまざまな政治的理由もあり、ガリレオは裁判に巻き込まれ有罪になります。
地動説の正しさはその後の観測でより明らかになります。
教会の間違いはガリレオの死後350年間もガレリオに謝罪しなかったことです。
詳しいことは神と「科学は敵対関係?」のガリレオ裁判に述べます。
5. 神 教会 宗教 は別物
神とは科学法則を作られた方であり、間違うことはありません。
教会は神を信じ、神に感謝し、礼拝し、神に祈り、神と共に歩む人間の集まりです。
宗教とは神のことをどのように人に伝えようかと人間が考え神の助けによってつくられます。
神と科学の対立ではなく、教会と科学の対立であり、宗教と科学の対立でもあります。つまり、人間と科学の対立なのです。
6. 神がいてなぜこのような悲劇が起こるのか
3.11の悲劇で家族を亡くされた方は「神はいない」「神がいるなら大嫌い」などと思われるのは理解できます。
聖書ではイエスが盲目の人、重い皮膚病の人、歩けない人などを癒されて「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいます。もしイエスのような神が実在するならなぜ津波にのみこまれた真面目に働いて無垢な人々を救わないのはおかしいと思われるのは理解できます。
ピウス12世が1950年に進化論について語った言葉を基に次のように考えられます。「人間の発展」には図A①に示した進化論に沿った人間の発展と、図A②「神から得た魂を持つ人間の発展」があり、この二つは複重しないという考え方です。
図A①は神が進化論を創られ、人間の発展を科学法則に任せている。科学法則を神が変えないならば災害の中で真面目に働いて無垢な人々も被害を受けます。神は人間を愛し、全ての人間を天国に導きたいのです。人々が災害を無傷で乗り切るのが目的ではありません。さらに、神が度々科学法則を変えていれば人間が神の創られた科学法則を追求できなるからかも知れません。
でも聖書にはイエスが病人を癒す奇跡が出てきます。神が科学法則を変えないならば奇跡は起こりません。ピウス12世は図A②、神は人間の魂を通して人間と会話をすると言っています。病気の人間が信仰を持って神に癒しを祈ると病が癒やされることがあります。この奇跡の中で神は医学を変えられました。
神が科学法則を変えずに起こる「人間の発展」(図A①)と人間の魂を通して祈ると神は科学法則を変える「人間の発展」(図A②)は複重しないとピオ12世は主張します。
人間の魂から出る祈りを神が答えられるとその場所、そしてその時、神は科学法則を変えられます。でもこれは極めて局所的で瞬間的なので図A①に示した「人間の発展」に変化を及ばしません。
人間は自由意志を与えられていますから神は人間の行動を制限しません。魂を通して学んだ科学法則を無計画に使えば図B①に示したように「人間の発展」が神の計画を狂わせてしまうでしょう。
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YouTube · のもと物理愛 · 2020/10/01